Spirits of the Research Group of Molecular complex System
卒業研究を始めるにあたって考えてほしいこと
−感性・論理・表現についての方法論的試論−



  RGMSの前身は1975年に発足した東海大学理学部物理学科旧真下研究室で,80年 までは毎年わずか数名の学生のみで構成されていた。その後81年にR. N. Work教授 (アリゾナ州立大学)が1年間研究室に滞在された頃から,学生・院生の他,研究 員・教員の参加や他の研究室等との共同研究が徐々に増した。

  RGMSのように先端的な観測システムの構築によって一次情報としての実験デー タの取得を研究スタイルとするグループでは,研究者間の意志の疎通が欠けること は,個人の実験技術にばらつきを生じ,実験結果の解釈にも深刻な過ちを持ち込む 要因となりやすい。このような問題を最小限に留めてきたのは,故真下先生が先頭 に立って測定データを取得するという驚異的な研究姿勢によるのだが,90年代にな ってからの多忙さの中ではこれも十分には機能せず,いくつかの問題が顕在化して きたと思われる。

  グループ内の教員や研究者によって同様な解決法をとることが当然はじめに考 えられることだが,本学での教・学務負担や研究環境等の現状を考慮すると,これ には困難が大きいと同時に,理想的な研究グループの構築を考えると,特に学生・ 院生の研究者としての能力開発という点で,この解決法が唯一の解というわけでは ないと考えられる。

  最も重要なことは,卒研募集時にも特に強調したことであるが,個人からグル ープ全体に至るまでのあらゆるレベルで正常なディスカッションが行われることで ある。本来この当たり前のことができていれば,上述のような問題も生じていない はずである。ディスカッションが足りない。 これに関連していくつかの問題を以 下に列挙する。
(1) 卒業,修了前に研究室を去る学生,院生がいること。
(2) 研究内容よりも人間関係が研究の遂行に大きく影響する例があること。
(3) 測定データやその解釈の信頼性を改善できずに,未公表に終わる研究があること。
(4) 外部との共同研究についても,(3)やスケジュールの説明が十分にできない場合があること。
(5) セミナーの準備が周到になされておらず,面白みと緊張感に欠ける場合があること。

  これらの一連の問題は,結局のところ前述したディスカッションの未熟さに起因し ているのは明らかである。良いディスカッションは訓練で会得することができると 認識し,これを意識して実行すべきである。良いディスカッションをするための能 力開発をRGMSで行うべきなのである。ここでは,ディスカッションの能力開発のた めにまず行うべきこと,考えるべきことを以下に挙げる。

0. 研究をはじめる動機とhigh standard
  動機とは感性の問題である。従って動機付けは本来は自分で獲得すべきものである が,例えば3年の物理実験用テクストの参考文献で興味あるものを読んでみるのも 良い。特にワトソンの「二重らせん」は若い研究者の描く夢からそのnegativeな部 分までも含めた全ての意味において,研究室内外での研究者の活動を生々しく表現 するもので,一度は読んでおいて良い本である。
  重要なことは,これから開発すべき自らの研究能力の標準を高く設定すること (high standard)である。たとえば,基礎学力や研究能力で指導者を追い抜くこと −少なくとも部分的には−が,実は極めて容易なことであると認識すべきである。 もちろん指導者よりはたくさん勉強しなければならないのは当然であるが,そんな ことは今日,今からでも容易に実現できることに過ぎない。

1. 基礎知識
  以下のふたつはまず最初に必ず準備すること
(1)「理科系の作文技術」(中公新書,木下 是雄 著)を読むこと。
  論理(logic)と表現は不可分である。この本は単なる作文の本ではなく,logicと はなにか,という今ここで最も重要な問題に示唆を与える本として紹介する。全て に優先して読んでおくこと。

(2)誤差論の基礎を理解しておくこと
  最近本学の物理学科卒研生は誤差に関する理解が不足しているという教員の共通認 識ができつつある。これはカリキュラムの問題であるが,研究レベルではこのよう な学内の問題とは関係なく,誤差論の基礎ははじめに必ず理解しておくよう自ら準 備すべきことである。再現性,偶然誤差,系統誤差,誤差関数,確率誤差,標準偏 差,最小二乗法,正規方程式,有効数字,測定精度,誤差の伝搬,棄却等,基本的 なことをまず再確認し,さらに高度なことを自分の卒研で積極的に生かしていくよ うに意識すること。

2. 訓練
(1)論文を読むこと
  卒業研究といえども参考文献のほとんどは学術論文−物理の分野では通常英語で書 かれており,これらを読まなくてはならない。学術論文で使われる英語は時事英語 よりも平易で,読めば読むほど容易に感じられるだろう。雑誌「サイエンス」や 「パリティ」などに掲載される”Scientific American”や”Physics Today”の邦 訳とその原著論文とを比較しながら読むと有効である。RGMSの研究テーマと関連する いくつかの論文は既に対でそろえてある。また,日常的な英会話に興味がある場合, その最大の障害となる聞き取りについては,英語インタビューを聞くことが最も有 効であると思われる。教材となるものはどこにでも転がっていると認識せよ。これ らについて興味があれば来られたし。

(2)実験すること
  卒研生の実験計画は周到ではなく,ディスカッションとの間にはとても深い溝が感 じられる。実験屋にとってこの両者は不可分なものである。実験ではデータを得る ための測定系のセットアップが最も重要であるが,このとき単なるデータ取得では なく,十分な解析とディスカッションから再び測定系のリファインにフィードバッ クさせていかなければならない。データはすぐに解析し,結果をグラフ等に視覚化 して,いつも眺めていること。ここで,折に触れ眺めることを繰り返すこと。 そ して考え得る限りのグラフを作成し,よく眺める。
  測定は用意周到に計画されるべきであるのはもちろんだが,これが測定に入るため の高いハードルになってしまっては逆効果である。物性実験では本来の計測以外に も,試料に関して試してみるべきことは山ほどある。これらも含めて,もっと多彩 で自由なtrialとしての実験を日常的に行うべきで,常にそれらの新しいアイディ アを練って用意しているのが実験屋の本領であると思われる。

(3)論文・報告書を書くこと
  実験ノートを作る人は多いだろう。その実験ノートを自分の考えを表現する最も日 常的な訓練の道具と認識すべきである。現在ではこれをコンピュータ入力している 研究者も多い。 研究は表現して伝えなければ完結しないし,研究者にはそうする 社会的責任があることを強く認識すべきである。
  RGMSでは表現の機会を多く作る方針である。そのために週報あるいは月報として自 分たちの研究内容やlogic形成の過程を定期的にまとめる。表現にはもっともっと 意識的であってほしい。短い文章を何回も書き直して検討せよ。研究職に限らずあ らゆる業種・職種で皆の想像以上に大量の報告書が要求されるであろう。就職前に RGMSで良く訓練しておくべきことである。

(4)ディスカッションすること
  今までここに書き並べてきたのは全て良いディスカッションをするための提案であ る。しかしディスカッションを行う機会を持たなければ意味がない。RGMSの全ての メンバーは他の全てのメンバーの研究について何を問うても何を意見しても構わな い。各個別テーマは本来RGMS全体の統一テーマに収束すべきもので,個別テーマに 自らを閉じこめてはいけない。問われたものはそれに答える責任を有している。同 じ問いに複数の研究者が異なる答えをもつことは当然あり得る。それで構わない。 各メンバーは外部に対してRGMSを代表してどの研究のことを話してもよい。
卒研生が研究内容について最も多くの疑問をもつのは当然である。質問することを 躊躇しては絶対にいけない。先輩を研究者として育てるのは後輩であると認識すべ きである。RGMSの研究成果が出なければ,それは指導者の責任であるが,一方RGMS の研究者,特に大学院生の基礎学力や研究能力が低ければ,それは卒研生の責任で あると言っても過言ではない。

3. 考える方法
  考える方法はもちろん自分で会得すべきことで,教わることでも教えられることで もない。従ってここでは単に限定的な提案ではあるが,いくつか指摘しておく。

(1)問題の設定
  何に対しても(on Physics and/or Your Life),最も重要な問題をひとつだけ明確 にすること。その本質的な部分を抽出するために,それ以外の部分をそぎ落として 極力単純化すること。さらにそれをsymbolizeして,常に(それを考えていないと きにも!)頭の中にentryしておくこと。これらを繰り返していくこと。

(2)解決のtrial
  問題の解決がひとつあるとして,そこに至る複数の道筋や,途中で行き止まりとなる 無数の道筋が存在する。解決に導かれる道筋を探るための多くのtrialを重ねること。 通常ひとつの学術論文に含まれる10あまりの図表を決定するために,その10倍以上 の図表を検討しているはずであると認識せよ。
これらを行う間にも(1)の検討を続けよ。この問題設定が間違っていればその解決は 永久に来ない。時々(1)について最も重要なことを3項目まで増やしてみよ。そして再 びその内で最も重要なひとつを設定し直して検討せよ。

(3)問題や解決についての表現
  前述したように表現はlogicと不可分である。いつ,どこででも,その時点での研究 上の問題点を挙げ,その問題の解決に向けて成されるべき手順について説明できな ければいけない。これは研究に取り組む者への最低限の要求(minimum)である。研 究能力以前の問題であり,研究者であることの定義そのものである。従ってこれは RGMSの卒研生のminimumである。
  修士課程の学生の能力は,設定された研究テーマにおける問題点の抽出と,解決に向 けての研究の実行力,さらにその道筋のlogicがどの程度的確であるかで判断される。 博士課程の学生の場合には,研究テーマの設定から論文発表までの研究活動全般が研 究能力の評価対象になり,これらをひととおり自力で行うことができると証明すれば, 学位を取得できる。
  なんの表現もなされない場合にはこのような評価はできないし,それ以上に,表現し ない者は研究者としての社会的責任を放棄しているので,研究とは全く異なるcategory の行為を行っていることになる。私学においてさえ,教育・研究のための私学助成は 税金からまかなわれており,学生もその公的な組織で活動していることの社会的責任 から逃れることはできない。

  最後に,RGMSでは卒研生は既に研究者として扱われることを再確認しておきます。そ れがタマゴであろうがひよこであろうが,そして将来の進路とも関係なく,RGMSに所 属している間は研究者としての高い志を掲げるように,全てのメンバーは期待してい ることを知っておいて下さい。



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