生体高分子


はじめに

 生命活動にとって、核酸(DNA, RNA)やたんぱく質、多糖などの生体高分子がどれほど重要であるかはもはや言うまでもない。これらは生体中で水和した状態で存在する。水和に関わる水分子の役割は非常に重要で、生体高分子の機能や三次元構造は水分子を抜きにしては語れない。例えば、DNAが2重らせん構造をとることは有名だが、そのらせんの溝に水分子は入り込んで水素結合で結合し、さらにそのような水がDNA全体を包み込んでネットワーク構造をつくっている。このような水(結合水)によってDNAの2重らせん構造は保たれている。たんぱく質も同様に水との相互作用によってそれぞれ固有の三次元構造を獲得しその機能を果たすことが出来る。しかも、このようにして水が生み出す生体高分子の三次元構造は、石のように固まったままの構造ではなく、絶えずゆらぎ、分子内運動を行う「やわらかい」構造である。もし、この様なやわらかさ、ゆらぎがなかったとしたならば、生体はどうやってDNAを複製したり、その遺伝情報をもとにたんぱく質を合成したり、ヘモグロビンが酸素を運搬したり、消化酵素が食べ物を消化したり・・・することが出来るだろうか。
 このようなことから我々は、「生体高分子と水和した水」「生体高分子の構造と分子運動」を中心に研究を進めている。これまで、水分子や生体高分子の分子運動を誘電測定によって直接的に観測することによって、結合水によるDNAの安定化の証拠や、酵素(たんぱく質)のちょうつがい運動の実測など、世界に先駆けた実験結果を論文として発表している。


研究内容

1.結合水、不凍水

 DNAやたんぱく質、コラーゲン、三重らせん多糖(シゾフィラン)などの生体高分子と直接水素結合によって結合している水分子を結合水(bound water)と呼んでいる。結合水の分子運動は普通の水(自由水 free water)より100倍ほど遅い。
 一方、多くの水溶液や水溶性ゲルに、自由水の凍結温度以下でも凍らないで残っている水がに存在する。このような水を不凍水(Unfreezable water)と呼んでいる。結合水も凍結しない水ではあるが、ここでは結合水以外の凍らない水を不凍水と呼んでいる。誘電測定では熱測定やNMR測定と違って、結合水のピークと不凍水のピークを分離して観測できるからである。
 生体高分子の周りには直接水素結合で結合した結合水が存在し、さらにその外側には(結合水ほどではないが)束縛を受けているために凍結点で凍らない不凍水が存在する。このような層状の水構造が存在する。また、結合水が存在しない系(例えば、ランダムコイル状の高分子水溶液)にも不凍水が存在することが分かっている。

− DNAのらせん構造と結合水 −

 DNAの構造と結合水は密接な関係があると考えられている。誘電緩和測定の結果、DNAのヘリックス構造が壊れてランダムコイル状態になると、結合水も存在しなくなることが分かった。また、DNA水溶液にアルコールを加えるとDNAのらせん構造が、B型→Z型→A型というように変化する。それぞれの構造を維持するための結合水量は異なる。結合水量を変化させることによってDNAの構造を変化させることが可能であることが示された。言い換えると、結合水がDNAの構造決定の重要な要因になっていることが示された。

− 球状たんぱく質の周りの水構造 −

 球状たんぱく質にも、球状たんぱく質と水素結合している結合水が存在する。いろいろな種類のたんぱく質の測定から、結合水の量は球状たんぱく質の表面積に比例することが確かめられた。また、アルブミン水溶液の凍結過程の測定から、結合水の分子運動はたんぱく質の局所的な分子運動と連動していることが分かった。温度の低下に伴って、たんぱく質の周りの氷が成長したんぱく質の局所的分子運動ができなくなると、結合水の緩和過程もみられなくなった。
 たんぱく質と結合水の周りには、自由水の凍結温度でも凍らない水(不凍水)が存在する。不凍水も温度の低下に伴って徐々に氷の構造に取り込まれて凍結して行くが、それでもなお−110℃以下でも凍らない不凍水が存在することが分かった。


2.たんぱく質のちょうつがい運動

 球状たんぱく質の構造は大きく1次、2次、3次、4次構造として考えることが出来る。1次構造とはDNAの遺伝情報もとに、アミノ酸が決まった配列でペプチド結合した鎖である。2次構造は、そのペプチド鎖がヘリックス構造(αヘリックス)やシート状構造(βシート)をとったものである。3次構造は2次構造が集合して出来る構造である。4次構造は3次構造を持つ複数のペプチド鎖からなる構造である。このように、たんぱく質の構造は階層的である。このような球状たんぱく質の立体構造は、その生化学的な機能と密接に関係している。
 たんぱく質の分子運動には、局所的なペプチド鎖が動く運動から、ある程度の大きなかたまり(ドメイン)が丸ごと動く運動、そして、たんぱく質全体の運動がある。ここでは、ドメインの運動(ちょうつがい運動)に注目している。

− 凍結条件下でのトリプシンのちょうつがい運動 −




 多くの消化酵素(トリプシンやペプシンなど)は2つの大きなドメイン構造を持ち、そのドメイン間の溝に活性部位が存在する。この2つのドメインは開いたり閉じたりして、ちょうつがい運動を行っていると考えられる。(図1)ちょうつがい運動によって消化酵素は分解すべき基質(食物由来のたんぱく質など)を挟み込み、加水分解を行い、そして解放することができる。しかし、これまでちょうつがい運動は分子運動としては実測されてはいなかった。
 我々の研究によって、凍結条件下においてトリプシンのちょうつがい運動による緩和ピークが初めて観測された。また、トリプシン水溶液にトリプシンインヒビター(トリプシンの溝に入り込んでちょうつがい運動を止めてしまう:図2)を加えるとそのピークは消滅した。このことから、今回観測した緩和ピークが確かにトリプシンのちょうつがい運動によるものであると確かめられた。
 尚、凍結条件下で実験を行った理由は、溶液状態では自由水とたんぱく質全体の運動による2つの大きな緩和にじゃまされて、ちょうつがい運動の緩和過程をはっきりと分離観測することが困難だったためである。

− 生理的条件下での免疫グロブリンのちょうつがい運動 −

 免疫グロブリンは免疫を司るたんぱく質の一種で、Y字状の形をしている。(図3)Y字の付け根の部分は非常に柔軟で、ここを起点としてY字の頭の2つのセグメント(Fab)はゆらゆらと大きく首振り運動をすることが出来ると考えられている。この運動の可動角度はトリプシンと比べて非常に大きいので、トリプシンと違って溶液状態でも(凍結させなくても)ちょうつがい運動を観測できると期待される。



 実験の結果、ちょうつがい運動の緩和ピークは結合水の運動とオーバーラップして観測された。(緩和過程の分離はできなかった)しかし、その緩和パラメータは確かにちょうつがい運動も存在することを示していた。結合水だけが観測されている他の球状たんぱく質と比べて、緩和時間が10倍以上大きく、活性化エネルギーが有意に大きく、緩和強度が5倍程度大きく、緩和ピークの形が高周波側に非常に広がっていた。 
 一方、免疫グロブリンを消化酵素パパインによってY字の付け根の部分で分解し、3つのフラグメントにバラバラにしたものを用意した。このような系では、ちょうつがい運動は起こらない(図4)。測定の結果、緩和パラメーターは通常の結合水と同様の値を示し、パパイン分解前に見られたような違いは見つからなかった。
 これらの実験結果は、免疫グロブリンのちょうつがい運動が結合水と共に観測されたことを示している。


3.たんぱく質の変性

 たんぱく質の立体構造は多くの安定化要因と不安定か要因のバランスの上に成り立っている。ここでいう要因とは、水素結合、ジスルフィド結合、疎水性相互作用、親水性相互作用、ファン・デル・ワールス力、エントロピーなどである。このバランスが崩れるとたんぱく質の立体構造は変化し、機能を失って変性する。具体的にたんぱく質の変性は、高温・低温・酸・アルカリ・高圧・変性剤などによって起こる。たんぱく質の変性を調べると言うことは、逆に安定化のメカニズムを調べることにつながる。また、近年多くの研究者に注目されている「たんぱく質のフォールデングメカニズム」を解く一助になるかもしれない。ある条件下での変性は、たんぱく質が1次構造から順に折りたたまれていく際の中間状態のモデルになるかもしれない。

− ゆで卵の白身のゲル・ガラス転移と球状たんぱく質のグロビュール・コイル転移 −

 ゆで卵の白身を冷蔵庫中で乾燥させていくと透明で堅いガラス状になる。このゲル・ガラス転移の分子論的メカニズムを解明した。
 卵白は約90%の水と10%のたんぱく質からなる。加熱するとたんぱく質は熱変成して、卵白はゲル状になる。熱変成たんぱく質の構造は天然構造とは異なってはいるものの依然コンパクトなグロビュール状態を保っていると考えられている。しかし、今回の実験から、ゆで卵の白身を乾燥させていくとたんぱく質は徐々にほどけて、最終的にはランダムコイル状態にまでなることが分かった。また、このようなたんぱく質の構造変化には水の液体構造の変化が重要な役割を持っていることが分かった。この様な分子論的変化と共にゲルのガラス化が起こると考えられる。

− 球状たんぱく質の尿素変性 −

 尿素などの変性剤による球状たんぱく質の変性は、変性剤の濃度を変化させることによって、変性の程度をコントロールすることができる。尿素は8Mまで濃度を上げるとたんぱく質を完全にほどいてランダムコイルにすることができる(ジスルフィド結合がない場合)尿素濃度を0〜8Mまで変化させてキモトリプシン水溶液を測定した。尿素濃度の増加に伴ってたんぱく質がほどけ、ほどけたペプチド鎖によるミクロブラウン運動が観測された。


4.TDR測定装置の改良(電解質水溶液測定の評価と改良)

 誘電測定は電気的測定であるため、電解質を多量に含むものを正確に測定するのが難しい。特に、低周波側の測定は、電極分極という非常に大きな分極のために評価が難しい。そのため従来は、サンプル中に含まれるイオンを脱塩処理で取り除いて対応してきた。しかし、生体に関する測定では脱塩処理をするのが難しい場合も多く、そもそも脱塩することによって状態が変化してしまうものも多い。
 これらの不具合を解消して、より多くの生体試料の測定が出来るようにするために、測定装置や解析方法改良の検討を行っている。特に、新しい解析プログラムの開発が必要だと考えている。



関連する発表論文

結合水・不凍水

S. Mashimo, S. Kuwabara, S. Yagihara, and K. Higasi,
"Dielectric Relaxation Time and Structure of Bound Water in Biological Materials",
J. Phys. Chem., 91(25), 6337-6338 (1987).

S. Kuwabara, T. Umehara, S. Mashimo, and S. Yagihara,
"Dynamics and Structure of Water Bound to DNA",
J. Phys. Chem., 92(17), 4839-4841 (1988).

S. Mashimo, T. Umehara, S. Kuwabara, and S. Yagihara,
"Dielectric Study on Dynamics and Structure of Water Bound to DNA Using a Frequency Range 10M-10GHz",
J. Phys. Chem., 93(12), 4963-4967 (1989).

N. Shinyashiki, N. Asaka, S. Mashimo, S. Yagihara, and N. Sasaki,
"Microwave Dielectric Study on Hydration of Moist Collagen",
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T. Umehara, S. Kuwabara, S. Mashimo, and S. Yagihara,
"Dielectric Study on Hydration of B-, A-, and Z-DNA",
Biopolymers, 30, 649-656 (1990).

N.。。Miura, N. Asaka, N. Shinyashiki, and S. Mashimo,
"Microwave Dielectric Study on Bound Water of Globule Protains in Aqueous Solution",
Biopolymers, 34, 357-364 (1994).

N. Miura. Y. Hayashi, N. Shinyashiki, and S. Mashimo,
"Observation of Unfreezable Water in Aqueous Solution of Globule Protain by Microwave Dielectric Measurement",
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Y. Hayashi, N. Shinyashiki, N. Miura, T. Umehara, and S. Yagihara,
"The water structure determined by dielectric relaxation measurements on biomaterials",
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S. Yagihara, Y. Hayashi, H. Miyairi, N. Shinyashiki, R. Kita, T. Dobashi, and M. Shiotsubo,
"Observation of Changes in Dynamics of Water Molecules in Various Aqeous Systems Using Time Domain Reflectometry"
Proceedings of Third Workshop on Electromagnetic Wave Interaction with Water and Moist Substances, in press(1999).


たんぱく質のちょうつがい運動

N. Miura, Y. Hayashi, and S. Mashimo,
"Hinge-Bending Deformation of Enzyme Observed by Microwave Dielectric Measurement",
Biopolymers, 39, 183-187 (1996).

Y. Hayashi, N. Miura, N. Shinyashiki, and S. Yagihara,
"Microwave Dielectric Study of Intramolecular Motion of ヲテ-globulin",
Rept. Progr. Polym. Phys. Japan, 40, 621-627 (1997).


たんぱく質の変性

Y. Hayashi, M. Micoshiba N. Shinyashiki, and S. Yagihara,
"Microwave Dielectric Study on Unfolded Protein by Urea",
Proc. School Sci. Tokai Univ., 33, 49-57(1998).

Y. Hayashi, N. Shinyashiki, and S. Yagihara,
"Microwave Dielectric Study on Unfolded Globular Protein by Denaturants",
Rept. Prog. Polym. Phys. Jpn., 41, 645-648(1998).

Y. Hayashi, M. Miura, N. Shinyashiki, S. Yagihara, and S. Mashimo,
"Globule-Coil Transition of Denatured Globular Protein Investigated by a Microwave Dielectric Technique",
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1999.11.03

以上文責 林義人
yh@church.email.ne.jp

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