4.TDRによる水系の測定(1984-1996)−水系のTDR測定と真下研究室の拡張

TDRを生体系に適用しようとすると,どうしても直流伝導を含む水系の測定を避けることができない。そこで微少な直流伝導を含む物質を測定する手法を開発し,後に生体を含む多くの水系の観測が行われた。これらの研究で特に明らかになったこととして,生体分子表面で束縛されている結合水の観測が挙げられる。結合水は従来様々な手法で観測されてきたが,ここではTDRで観測した際にバルクな水(自由水)の約100倍の緩和時間をもち,生体分子表面に水素結合のネットワークを作る構造水として定義された水のことである。

この結合水は生体分子の構造をも反映しており,分子の構造転移等の情報も得ることができる。一方物質中の自由水もfree volumeを反映してその緩和時間が純水とは異なり,さらに緩和時間分布に物質の構造的情報が含まれていることが明らかになってきた。真下先生はこれらの知見を生かして,水系へのTDRのapplicationとして様々なアイディアを提示されていた。

 固体高分子の研究では,Kohlrausch-Williams-Watts (KWW) 関数で記述される相互作用の実験的検証を続た後,高周波数領域でのKWW関数からのずれ,または新しい緩和過程の指摘等,真下先生は最期まで新しい発見を追い求められていた。  大学院に進学する学生が増加し,物性系博士課程への進学が可能となった。この結果研究室から4名の課程・論文博士を輩出した。
(1) 水等の水素結合性液体の凝集構造 [59, 66, 70, 72, 73, 75, 79, 81, 94, 101]
 水は水素結合によって5, 6個の水分子のクラスター構造を形成する。その生成・消滅を反映して,25℃で緩和時間が約8psの緩和現象を示す。従来の測定技術ではこの緩和を物理化学的解析に耐えるような精度や時間で観測することが困難であったが,TDRではこれが可能になってきた。そこで水−1,4-ジオキサン系の混合比を変えてTDR測定を行ったところ,水のモル分率が0.83で緩和パラメータが大きく変化していることが判った。この不連続性は他の水−有極性溶媒系でも共通に見られた。

これらの系では,水分子6個からなるクラスター構造が崩壊する様子が観測されているので,0.83(=5/6)という値が普遍性をもっていたのである。液体構造のような複雑系物質では, time scale を考慮しない静的構造の解釈には限界があり,動的構造の実験的検証と解釈が特に重要であることが再認識された。
(2) 高分子−水系の水和構造 [63, 76, 88, 93, 96, 109, 113, 114]
 Poly(vinyl pirorydone)(PVP)水溶液やpoly(ethylene glycol)(PEG)水溶液中では,自由水もそのfree volumeを反映し,その緩和時間が純水とは異なることが見出された。また,高分子のアルコール溶液と水溶液の比較により,その挙動が水特有なものであることが示された。

 PVP水溶液(20wt%)の温度を低下させていくと,-5℃で自由水や分子鎖運動は凍結されるが,-25 ℃でもいくらかの自由水は凍らずに不凍水として残っている。不凍水は温度の低下と共に徐々に凍っていき,-57 ℃では完全に凍結して消滅する。57wt%以上の濃度では凍結が起きない。

 これらの結果から,物質中の自由水は純水と同様に6個単位のクラスター構造をとり,温度を下げるとある温度で自由水の一部は凍結するが,他は不凍水として残る。この不凍水はPVPとの相互作用で,凍結温度でも氷本来の6個単位のクラスター構造をとれないが,さらに低温にしてやると氷のクラスターに取り込まれて徐々に凍結していく。PVPの繰り返し単位に対して5個を割ってしまう程度の水しかない高濃度域では,低温でも氷のクラスターを形成できず,凍結しない。

  重要なことは,自由水は通常の凍結をする水と不凍水の両方を含んでいることである。不凍水とTDR測定で定義した結合水とは異なることに注意が必要である。
(3) 生体高分子の水和構造とダイナミックス [49, 52, 56-58, 60-62, 65, 80, 93, 90, 97, 112, 119]]
 牛のアキレス腱から切り出したコラーゲンについて,含水量を変えてTDR測定を行ったところ,2種類の緩和過程が見られた。高周波側のものはバルクの水(自由水),低周波側のものは分子に結合した水(結合水)の運動に起因していることが判った。結合水はコラーゲン分子に束縛され,さらに結合水間にも結合が生じてネットワーク構造をとるために緩和時間が長い。このような結合水の存在は従来から予想されていたものの,一連のTDR測定によって新たに定義し直されたものであると言って良い。緩和パラメータの定量的な解析から,トロポコラーゲンのヘリックスのらせん単位につき結合水21分子と概算できた。

結合水は水溶液中のDNAでも28/nucl.程度観測される。溶媒にエタノールを混合していくと,結合水ははがされ,減少していく。さらにエタノールの体積分率が0.65v/vを越えると結合水の数が19/nucl.を割り,B型からA型二重らせんに構造が転移する。A-DNAは含水量の少ないDNAに見られる構造である。さらに,水−エタノール混合溶媒中のPoly(dG-dC)Poly(dC-dG)ではエタノールの増加と共にB型から Z, A, 型二重らせん構造へ順に構造転移し,転移点で結合水量が不連続に変化する。結合水量はらせんパラメータを反映し,DNA二重らせん構造を結合水が安定化させていることを示している。

球状タンパク質として酵素を測定したところ,さらに低周波側に分子全体の回転運動やちょうつがい運動のようにラージ・スケールな分子内運動を反映する緩和過程が見つかり,酵素機能の発現機構としての分子ダイナミックスの意味を考えることが興味深い。

さらに結合水が凍結に際してどのような挙動をとるのか,アルブミン水溶液で調べられた。不凍水は凍結温度(-6 ℃)で0.36g/gproteinの量が見積もられる。温度の低下と共に減少していき,-110 ℃で消失する。 0.04g/gprotein程度の結合水も凍結温度で凍らずに残り,温度の低下と共に減少していって-60 ℃で消失する。緩和強度の温度変化から,アルブミンのような球状タンパク質では結合水の水素結合の数が異なるような構造変化,おそらく2本と3本の間での変化があり得ることが判った。これはDNAやコラーゲンのような1次元的なつながりでなく,2次元的なネットワークの結合水構造を示唆している。
(4) 生体組織における水構造 [48, 51, 64, 67, 68, 71, 77, 82, 84-87, 92, 98, 100, 105, 107, 117, 118]
 TDR法による生体高分子測定で100MHz付近に結合水の緩和過程が観測された頃、生体組織(ラットの脳灰白質や白質、ラットやカエルの骨格筋、そしてラット肺)にも応用を試みた。生体組織は電解質を多く含み直流伝導が大きいため測定には困難を極めたが、1994年頃からは測定周波数帯域を30Hz〜20GHzとした測定に成功した。3つの緩和過程が観測され、電極分極とバルク水は明らかとされたが、100kHz付近に未知の緩和過程が存在し、生体組織を構成している生体超高分子構造や結合水構造を反映している可能性が示唆された。

 生体膜モデルのリン脂質リポソーム,赤血球膜全脂質等でも結合水の観測されるべき周波数領域に緩和過程がみられるが,これらの不均質系がもたらすMaxwell-Wagner効果による緩和過程との比較や関連についてはさらに今後も議論されるだろう。また,赤血球膜ゴーストでは体温付近に結合水量の不連続な変化を示す転移現象が報告された。
(5) TDRとNMRによる生体水の観測と比較  [74, 78, 89, 91, 95, 108]
生体における水の研究は、磁気共鳴画像診断装置(MRI)の普及によって急速におこなわれるようになった。このことはMRIが人体の水プロトンの核磁気共鳴(NMR)緩和時間、すなわち水分子の回転、並進運動にもとづく信号変化を画像化し病態を診断する装置であったことに起因しており、古くよりおこなわれていたNMRによる水の分子運動測定が再燃する形で盛んになっていた。当時、結合水の存在は古くからのNMR緩和測定によっても確認されていたが、水の動態とNMRとの関連性はいまだ定性的な解釈にとどまっており、NMRによる生体水(結合水)の解析には様々な問題があった。

たとえば水和水としてTDR法で見積もられている0.36g/g proteinの量は、NMRでは結合水として見積もられていた。このことはNMRの観測時間が分子運動の時間に比べて長い時間を必要とすることと関連しており、測定結果には運動の回転および並進運動の平均的寄与が含まれることを示している。一方、TDR法では分子の回転運動を測定するが、この方法では分子の回転運動に関して高い時間分解能での測定が可能になる。

したがって自由水および結合水の回転拡散時間が分離して観測される。ここではDNA水溶液およびアルブミン水溶液における水プロトンのNMR緩和時間を、TDRによって観測される水分子回転運動により説明することを試みた。すなわちNMR緩和時間T1,T2は、TDR法による分子回転運動から得られる自由水および結合水のNMR緩和時間とそのfast exchange model によって説明されることを明らかにした。
(6) 高分子のchain dynamics [46, 47, 53, 54, 69, 102, 104, 110, 111, 115, 116]
 Poly(vinylmethylether)のトルエン溶液および水溶液のTDR測定を行った。トルエン溶液ではchain motionを反映する緩和過程,水溶液ではchain motionと自由水を反映するふたつの緩和過程が観測された。それぞれのchain motionの緩和過程についてのcoupling constantは温度上昇と共に減少,および増加し,逆の挙動を示すことが判った。

トルエン溶液の挙動は無定型高分子に共通で,温度上昇に伴う熱的ゆらぎによるcouplingの減少を示している。この水溶液は下部臨界共溶温度が室温付近であり,これをまたぐようにcoupling constantが変化している。溶液中の無定型高分子についてcoupling modelを適用することの妥当性を示す初めての例となった。

 固体PVAcのデータについて,さらにKWW関数を用いてHN関数の場合との比較検討を行った。さらに真下先生は亡くなられる直前まで,これらのfittingが示す高周波側のずれが別の緩和過程を示唆している可能性について考えられていた。
(7) TDRシステムを利用した応用的研究 [99, 103, 106, 120]
 水の純度,物質・生体中の水分量やさらにその状態が物質・生体の性質を決定しているような系について,TDRシステムを応用した診断もしくはその可能性を示唆する研究を行った。

 水や各種の飲料について,その液体構造からの評価を行った。山中弘次氏(オルガノ)との共同研究では純粋製造過程の各段階での水質評価を行った。  その簡便さから皮膚は最も初期の段階から繰り返しTDR測定の対象となってきた。特に内藤智氏(花王)との共同研究では,edge effectの異なる電極を使い分けて皮膚の測定部位を明確にし,さらに簡便に含水量を決定する解析法を開発した。

 塩坪正実氏(コマツエンジニアリング)とは,マイクロ波によるアスファルトの乾燥やセメント・コンクリートの水和構造の解析から品質評価・劣化診断の可能性について共同研究が計画されたが,その矢先に先生が亡くなられた。その後前者は実用化され,後者はまずセメント・ペーストの水和過程の観測から行われた。この水和過程において見出された,自由水と区別できる遅いダイナミックスを示す構造水の存在は,米国セラミック協会の学術論文として報告され,1998年度のセメント部門最優秀論文賞を得るに至った。

先生は亡くなられる直前,積極的に応用的研究を進めようとされていた。直接的に水を取り扱う業種はもちろんのこと,医療機器,エネルギー,化成品,環境,化粧品,建築・土木,食品,電気計測・マイクロ波技術,塗料,薬品,冷凍等の様々な業種でTDR利用の可能性があると大いに期待されていた。
*[JAPANESE] [ENGLISH]*
[RGMS] [Department of Physics]
(C)Research Group of Molecular complex System


*BACK[Top page]


[Department of Physics] [Tokai Univ. Computer Center]

Mikio Oyama
E-mail: 3aspm005@keyaki.cc.u-tokai.ac.jp

Please mail to me your thoughts and opinions!!